会染小学校の紹介

令和3年4月1日
会染小学校長 
葭本直樹

 学校長あいさつ

                  

 令和4年度、会染小学校は開校150周年を迎えました。記念行事として本校の伝統である肥後守を作っていただいている兵庫県三木市の永尾さんをお招きし、子どもたちとの交流会を予定しています。また

音楽会や運動会も記念行事の一環として行います。そして、「子どもがまんなか」の行事になるように取り組んでいきたいと考えています。
 さて、本校は北アルプスの山々をバックに緑豊かな田園地帯が広がる自然環境に恵まれた場所に学校があります。本校は肥後守(ひごのかみ)を使った教育を始めて39年になります。肥後守を通して、学年を越えた伝え合いの姿が見られる学校です。そして、地域・保護者の皆様にあたたかく支えていただきながら本校に通う子どもたちは落ち着きのある学校生活を送っています。
 学校教育目標「自らうごく会染の子ども」の実現に向けて、『子どもがまんなかの学校』を目指しています。子どもたちを「まん中」に据えた学校作りを全職員で築いて参りたいと思います。保護者の皆様・地域の皆様のご支援・ご協力をよろしくお願いいたします。

会染小学校 校章

 当時の会染小学校6年、内山公雄さんのデザイン。
 
バックの逆三角形は緑色で会染の田園や緑を表し、中央は会染の「会」の文字を象形化したもので、自然に恵まれた会染の子がすくすく伸びてほしいという願いが込められています

明治6年  渋田見に修道校を新築開校、内鎌に前社校を開設

明治8年  滝沢に滝沢校を新築開校、修道校には渋田見校、前社校は
      会染校と改校

明治35年  会染尋常高等小学校を設置

明治36年  林中の現在の地に第一次校舎・雨天体操場を建築

明治45年  会染農工補修学校を設置

大正9年   会染農工補修学校を会染実業補修学校と改称

昭和16年   会染尋常高等小学校を会染国民学校と改称

昭和22年   新学制により会染小学校として発足

昭和29年   完全学校給食実施

昭和32年   水泳プール新設落成

昭和39年   校歌制定

昭和40年   給食センターによる学校給食実施

昭和58年   肥後守を取り入れた活動開始


昭和 6年6月    南校舎を増築する。

昭和16年4月    池田国民学校と改称される。

昭和22年4月    六・三制により池田小学校と改称される。

昭和22年11月    粉ミルク給食が実施される。

昭和23年4月    池田小学校PTAが発足する。

昭和28年4月    高瀬中学校校舎を移転し独立する。

昭和30年6月    完全給食が始まる。



平成元年   新校舎での学校生活開始 

平成 2年   新校舎竣工

平成 9年   開校125周年記念式典実施

平成11年   FBC花壇コンクール“農林大臣賞”を受賞

平成13年  「EMフェスタ」第1回環境学習コンテスト最優秀賞を受賞

平成14年   中信地区交流教育発表

平成15年   肥後守20周年記念行事

平成16年   みなみ学級1組新設

平成20年   みなみ学級2組新設

平成21年   体育館屋根防音改修工事

        新スクールバス(てるてる号)運行開始

平成22年   遊具新設工事着手

平成23年   新設遊具完成

        教室の扇風機、保健室のエアコン設置

平成24年   みなみ3組新設

平成27年   肥後守記念講演会

平成29年   みなみ4組新設

令和3年    みなみ5組新設

令和4年    開校150周年 肥後守の永尾さんとの交流 記念音楽会 記念運動会 

 

 昭和39年11月20日、保護者はじめ、会染小学校に関わる人々、会染地区の人々待望の会染小学校校歌が誕生しました。校歌には会染の自然が歌われるとともに、いつも胸には希望を、心には美しい夢を描き、自主自立の意気をはつらつと示し、心身ともに強い人間であってほしいという、みんなの願いが込められたものとなりました。

 作詞は1902年東京生まれの詩人・作詞家である勝承夫氏。作曲は1910年高知生まれの、『平城山』などの歌曲作曲家として有名な平井康三郎氏。

 作詞家である勝承夫氏が作詞した校歌は長野県下でも65校に及び、東筑摩郡本郷村立本郷小学校(現在、松本市立本郷小学校)、広津小中学校などでは本校と同じ平井氏との作品になっています。また、北安曇郡においては本校と広津小中学校、大町第一中学校の三枚の校歌が勝氏により作詞されています。


 さて、勝氏は校歌作詞の依頼を受諾した年の9月18日、校歌の詩情を得るために本校へ来校し、その当時の児童に紹介されました。その時、つぶさに見てまわった池田町で、中秋の安曇野の自然の情緒や明治35年統合小学校として発足して以来の伝統と向学精神に感勤し、次のような詩を歌っています。

葉に早き会染の

山のすすきの穂は重く 

そよ風もなき この昼は

明るく深き思いあり

 
その日、PTA役員、村内の古老の方々、学校職員が家庭科室に集まり、勝氏を囲んで校歌作詞についての座談会が聞かれました。その日のことについて、校歌発表会のパンフレットには次のように記述されています。

 「会染の学校で座談会を開いたとき、みんなアルプスより有明山のことを親しみ深く話しました。会染から真っ向に見える姿のいいこの山は、この里の人の心の中に生きて、朝に夕に懐かしく呼びかけるのでしょう。又、この里には香川景樹の弟子の内山真弓という人がいて、村人の教養を高め好学の伝統を残したということも私の心を打ちました。大自然に恵まれ、しかも心の寄りどころをしっかりと持ったこの土地の子供たちに、さらに力強い自信と夢を与えたいと私は一生懸命にこの歌を書きました。」 

 そして、10月24日に勝氏から校歌詩が本校に送られました。勝氏は七五調を避け、新鮮な感じに仕上がるよう意図して作詞したとのことでした。

 なお、校歌の制作費用はPTA役員はじめ、町長、教育長、農協の組合長、校医、町や農協などの役員、更には、県内外で活躍している会染小学校の同窓生、かつて会染小学校へ通学した中島、半在家、相道寺地区の方々、学校に関係ある商店など、多くの方々から寄付を募って賄われました。